コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

萩ガラス工房

【山口】

高杉晋作も愛用した
幻のガラス「萩硝子」復刻を実現


「萩の七化け」と呼ばれる経年変化が魅力の「萩焼」。あまり知られていませんが、この萩の地で作られていたガラスが「萩硝子」です。

幕末の萩藩では、産業振興のために江戸や大阪から職人を招いてガラス製品が作られていました。水晶を原料とするガラスは高い透明度と強度を誇り、貿易品として全国へ、また、各藩の藩主や天皇家へ献上されたという記録が残っています。さらに、高杉晋作などの藩士たちにも下賜され、彼らに愛用されていたといいます。しかし、幕末の動乱期、ガラス工場で火災が発生。工場は消失し、ガラス製造はわずか6年ほどで途絶えてしまいました。

そんな「萩硝子」を復興したのが、萩ガラス工房有限会社です。セラミックの研究・開発を行っていた藤田氏は、萩硝子の歴史や文化に心打たれたといいます。「萩に生まれたものとしてこれを復刻しなくては」という思いから、残存する古文書や萩硝子の製品を研究。その製造方法を学びつつ、自らが持つセラミックの先端技術を組み合わせ、新たなガラスの製造方法を確立し、「萩ガラス工房」を設立しました。

地元産原石から作る
耐久性に優れたガラスの製造

萩硝子の特徴は、原料に地元産の石英玄武岩を使っていること。原料からのガラス製造は非常に難しく、国内のガラス工房ではほとんど行われていません。しかし、幕末当時の製法にこだわる萩ガラス工房では、地元産の原石からガラスを作ることにこだわりました。

使っているのは地元笠山でしか産出しない、石英を多く含む石です。これを細かく砕き、ガラスに必要な成分を独自にブレンド。これを藤田氏自ら設計したガラス溶解炉で溶かします。その温度は1520℃。通常、ガラス製造は1200℃で原料を溶解するので1520℃は超高温。鉄鋼生産とほぼ同じ温度です。これにより透明度が高いだけでなく、硬く丈夫な硬質ガラスを作ることに成功しました。

萩ガラスはカットで模様を刻むものもあります。刻まれるのは江戸切子とほぼ同じ技法と模様。江戸から職人を呼び寄せて作ったという萩硝子の歴史を受け継いでいます。さらに、10年以上を要して内ひび貫入ガラスも作り上げました。萩焼のようにひび割れた層を2層のガラスに挟んだ三重構造のガラスは、国内では唯一無二の技法。萩の偉人たちの思いと、萩の自然・文化を受け継ぐガラスとして注目を集めています。

Buyer's Voice  代表・松澤斉之より

「維新の夢を現代に」
その想いが見える他にはないガラス製造

明治維新期の歴史が好きで、いろいろな歴史書を手に取ることも多い。「萩硝子」との出会いも「高杉晋作愛用のガラス」というキャッチフレーズにひかれてのことだった。しかし、萩硝子を復刻した萩ガラス工房の藤田氏に会い、話を聞くうちに、その歴史、復刻にかける想いにも強くひかれていった。

なにより、ガラス原料からガラスを作っている工房は全国的にも少ない。その上、使われる素材は地元産で、萩焼をイメージさせるような貫入は国内唯一。日本のガラス工芸産地の中で、これほど心ひかれる物語を持つものはこれまで聞いたことがないように思う。

これを幕末に手掛けたのが萩藩の科学者中島治平だという話も聞いた。維新期に、多くの外国語を操り、医学や化学、写真術などを研究し、ガラスも手掛けた偉人は、あまり知られていないが、その業績は驚くほど先見の名があった。「その想いを受け継ぎ、彼の夢を現代に蘇らせたい」。収集した古文書や当時の萩硝子のコレクションを見つめる藤田氏の目に、熱い想いを感じた。

【伝統工芸の旅】「萩焼」「萩ガラス」の工房へ。萩市の魅力、再発見!(山口県)

並び替え

8 点のお品

フィルター