コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

記事: 日本古来から生産が続く6つの窯“六古窯/ろっこよう”とは

日本古来から生産が続く6つの窯“六古窯/ろっこよう”とは
#工芸を知る

日本古来から生産が続く6つの窯“六古窯/ろっこよう”とは

日本各地には様々な陶芸産地がありますが、その中で中世から今なお生産が続いている産地があります。それが瀬戸・常滑(とこなめ)・越前・信楽(しがら)・丹波・備前、6つの窯で六古窯です。

六古窯で焼き上げられる陶器は、各産地の自然や文化の特色を生かしており、時代の変容とともに姿を変えてもなお魅了し続けています。また、現在も伝統技法が継承されている焼き物もあり、日本の焼き物歴史にも大きな影響を与えています。

本記事では千年以上の時代を乗り越えてきた六つの窯毎の歴史を紐解き、培ってきた技術と各窯の焼き物の特徴や魅力とともに御紹介します。六古窯それぞれの焼き物について詳しく知りたい方必見です!

 

日本六古窯とは?

「日本六古窯(にほんろっこよう)」とは、古来の陶磁器窯のうち、中世(平安時代末期〜安土桃山時代)から現在まで生産が続く代表的な6つの窯(瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前)の総称です。

1948年頃、古陶磁研究家・陶芸家である小山冨士夫氏により命名され、平成27年に「日本遺産」に認定されました。

日本遺産への認定を機に六市町(越前焼:福井県越前町、瀬戸焼:愛知県瀬戸市、常滑焼:愛知県常滑市、信楽焼:滋賀県甲賀市、丹波焼:兵庫県丹波篠山市、備前焼:岡山県備前市)では、六古窯日本遺産活用協議会を発足しました。

各窯では独自の技術や文化を育んできました。その歴史や文化、技術を詳しく御紹介します。

日本の六大焼き物産地|六古窯の特徴と歴史

六古窯①瀬戸:瀬戸焼

陶器の代名詞「せともの」を担う、日本屈指の窯業地(ようぎょうち)

「瀬戸」の瀬戸焼は愛知県瀬戸市を中心に作られている焼き物です。日本で陶器一般を指す「せともの」という言葉は、長い歴史のなかで、焼き物づくりを牽引してきた瀬戸焼からきています。
日本六古窯の中でも一度も途切れず焼き物の生産を続けてきた産地となっています。


瀬戸焼の歴史

瀬戸焼の起源は、古墳時代から鎌倉時代初期にかけて現在の名古屋市・東山丘陵周辺で始まった「猿投窯(さなげよう)」です。猿投窯は陶器を焼くために用いられた窯の遺構、古窯跡のことを指します。

最盛期では名古屋市東部の約20km四方にわたり 1,000基をこえる数多くの瀬戸焼の窯があり、当時は須恵器(すえき)が生産されていたようです。

瀬戸市は猿投窯の隣市に位置し、平安時代末期から藁などの植物の灰を原料にして釉薬(うわぐすり)をかけて仕上げる、灰釉陶器(かいゆうとうき)を生産した瀬戸窯が登場します。
鎌倉時代になると灰釉陶器に代わり、無釉の椀・皿・鉢を主体とする「山茶碗(やまぢゃわん)」が生産されるようになり、日常食器として流通していきます。

山茶碗と併せて「古瀬戸」と呼ばれる新たな施釉陶器(せゆうとうき)の生産が始まります。施釉陶器とは釉薬を器面全体に施した焼き物のことを指します。当時、鎌倉や東海地方の寺院からの瓦・仏具・蔵骨器等の需要があったため、大型の壺や瓶類、仏花瓶・香炉といった宗教関係の器種を生産されました。なかでも瀬戸窯は、国内唯一の施釉陶器生産地となります。

室町時代は古瀬戸の最盛期となり、碗・小皿が多様になり、供膳具・調理具などの「使う」製品が生産の中心となっていきます。


瀬戸焼の特徴

中国の青磁や白磁のような白く美しい素地が特徴です。なぜここまで白い焼き物を作り出すことが可能になったのでしょうか。それは丘陵地帯の瀬戸層群と呼ばれる地層から採れる、木節粘土(きぶしねんど)と蛙目粘土(がえろめねんど)に特徴があります。

これらの良質な粘度は耐火性が高く、柔らかく成形しやすいという特性に加え、鉄分がほぼ含まれないことから白く美しい陶器ができたのです。また、瀬戸焼は「赤津焼(あかづやき)」と「瀬戸染付焼(せとそめつきやき)」と2種類あり「赤津焼」は7種類の釉薬と12種類の多様な装飾を駆使した技法が特徴です。「瀬戸染付焼」は白い素地に青く発色するコバルト顔料での絵付けが特徴です。

六古窯②常滑:常滑焼

日本六古窯で最も古い歴史をもつ最大規模の産地

常滑焼は愛知県知多半島にある常滑市を中心に作られている焼き物です。日本各地の焼き物に大きな影響を与え、越前焼・信楽焼・丹波焼のルーツにもなっています。半島という立地を生かし、伊勢湾に面していることもあり、海路を利用して東北から九州に至る日本各地に運ばれていたことから、六古窯最大規模の産地と言われています。

常滑焼の歴史

常滑焼は古くから作られている焼き物であり、古墳時代に中国から朝鮮を経て「窯」の技術が伝えられます。「穴窯(あながま)」が作られ、そこで須恵器が焼かれていたようです。

平安時代から鎌倉時代には常滑を中心に知多半島全域に穴窯が築かれ、山茶碗や壺が作られます。この時代に作られた焼き物は「古常滑」と呼ばれ、常滑焼の原型となっています。碗は食器、鉢は調理具として用いられ、壺や甕は貯蔵具として使われていたようです。

酒蔵があったと言われている地域から大量の甕が出てきており、鎌倉時代の記録で酒造りに壺がたくさん使われていたという記述があることから、酒の保存にも使っていたとも言われています。酒以外でも油の貯蔵や藍染にも使われたようです。

江戸時代には「朱泥急須(しゅでいきゅうす)」がつくられるようになり、常滑焼の主力商品となっていきます。明治時代以降は、常滑で焼かれたレンガが使われた帝国ホテル旧本館は関東大震災で崩壊を免れたことで、建築用の陶器生産としても有名となります。

常滑焼は日本六古窯の中でも、時代の変容とともに幅広い製品が作られ、他産地の焼き物に大きな影響を与えます。


常滑焼の特徴

常滑焼の特徴のひとつが、鉄分を多く含んだ良質な土を活かして、鉄分を赤く発色させる技法です。最も代表的なものは、赤い色をした「朱泥急須」です。

また、太さ7〜10cmの棒に近い粘土紐を肩に担ぎ、陶工自身がロクロのように回りながら粘土を積み上げていく、今なお受け継がれる伝統技法「ヨリコづくり」で甕(かめ)や壺など大物製品を成形しています。


六古窯③越前:越前焼

越前は北陸最大の窯業産地

越前焼は福井県の越前町を中心に作られている焼き物です。日本六古窯の中で唯一、日本海沿岸一帯へと発展することができました。越前の港に越前焼をはじめとした物資が集約され、日本各地に運ばれる仕組みができていたため、北海道から島根県まで商圏を拡大することができたと言われています。

越前焼の歴史

平安時代末期、常滑窯から技術を導入して越前焼の生産が始まりました。
それまでは越前焼と直接的な関係はないものの、越前周辺では須恵器が作られており、越前は古くから焼き物作りの町として越前焼の技術を受け入れられる土壌があったようです。

戦国時代には越前焼は大量生産を行うようになりました。当時に気付かれた全長25mにおよぶ大きな“岳の谷窯跡群”は現在、越前町指定文化財になっています。

江戸時代中頃になると、越前焼特有の鉄分を多く含んだ土を生かした「越前赤瓦(えちぜんあかがわら)」が作られるようになります。

瓦の生産は近代にかけて衰退していましたが、1948年に越前焼を日本六古窯の一つとして認定し、1965年に福井県内で生産される各窯元の焼き物の名称を「越前焼」と統一することにより、越前焼の名は全国に定着していきます。現代でも土の風合いを生かした越前焼を生みだす伝統技法は引き継がれ、その温かさ・渋みが多くの人に愛されています。

越前焼の特徴

越前焼の特徴は、越前地域特有の土が多く含む鉄分により、耐火性が高く、焼き締まりが良い点です。硬くて丈夫な越前焼は水漏れしにくいため、壺・甕・すり鉢を中心に生活雑器として使用されます。

また、初期の越前焼は釉薬を使わない代わりに、薪が焼かれるときに素地についた灰が天然の釉薬となり素朴な風合いを作り出しています。

六古窯④信楽:信楽焼

「形になるものは何でもつくる」という伝統と創造が共存する窯業地

信楽焼は滋賀県甲賀市信楽町を中心に作られている焼き物です。信楽焼と言えばたぬきの置物ですが、かつては茶の道具、近年では植木鉢や傘立て、タイルなどあらゆる焼き物が生産されていました。時代の変容に合わせて人々の暮らしに寄り添う姿に発展しています。


信楽焼の歴史

日本六古窯の一つである常滑焼の技術的な影響を受けて、鎌倉時代に信楽焼が始まります。当初は常滑焼と区別かつかないほどよく似ていましたが、次第に信楽焼独自の作風となり、甕、壺、鉢など生活に寄り添った焼き物作りが盛んに行われるようになります。また、信楽焼は土味を生かした素朴さがわび茶の精神に通じると考えられ、見立て茶器で用いることして高く評価されています。

江戸時代になると登り窯が築かれたことにより、大量生産が行われるようになります。この時代は施釉陶器(せゆうとうき)が一般的になり、信楽でも施釉陶器が作られ始めます。江戸時代後期から製造がはじまった火鉢は、急熱急冷に強いことが評価され主力商品となっていきます。

代名詞ともいえる“たぬきの置物”が誕生したのは1951年です。昭和天皇の信楽行幸にて、主力商品である火鉢を積み上げてアーチをつくり、信楽たぬきに日の丸の旗を持たせて並べ奉迎したようです。それを見た昭和天皇は喜ばれ「おさなとき あつめしからに なつかしも しがらきやきのたぬきをみれば」と歌に詠まれました。これを機に全国で人気となります。

1970年に開催された大阪万国博覧会のモニュメント「太陽の塔」の背面にある直径約8メートルの「黒い太陽」は、信楽の当時の技術を駆使して制作されたものです。このように伝統と芸術とあらゆる場面で信楽焼は展開されるようになります。

信楽焼の特徴

信楽焼は古琵琶湖層から採れる耐火性に優れた土を使用しているため、タイルから大甕まで幅広く作らています。また、釉薬を施さず焼き締めるため、長焼成の過程で素地が変化して作り出される、独特な味わいを醸し出すのが特徴だとも言われています。


六古窯⑤丹波:丹波立杭焼(たんばたちくいやき)

人々の暮らしに寄り添った窯業地として有名な丹波

丹波立杭焼は兵庫県篠山市今田で作られている焼き物です。開窯以来800年の間、一貫して飾り気のない素朴さと生活に根ざした焼き物を作り続けています。主要な窯が並ぶ立杭地区は地形に恵まれ、丹波特有の霧が早々に晴れ上がることから、焼き物の乾燥には適した土地だったようです。

丹波立杭焼の歴史

丹波立杭焼の起源は平安時代末期と言われています。当時は山腹に溝を掘り込み、穴窯を用いて、釉薬を使用しない大型の甕や壺、すり鉢の焼き物の生産が盛んに行われていたようです。
江戸時代には朝鮮式半地上の登り窯が導入され、短い焼成時間で大量生産が可能になります。江戸時代中期には、茶入・水指・茶碗などの茶器や小型の徳利など生活に寄り添った多種多様の製品が作られるようになります。

1970年代には窯業指導所や民藝運動家のはたらきかけによって、丹波焼の持つ美しさが大きな位置を占め、世界的評価も高まっていきます。


丹波立杭焼の特徴

丹波立杭焼の特徴は、「灰被り(はいかぶり)」という独特の色と模様です。登り窯で最高温度約1,300度の高温のなか約60時間焼かれるため、焼成時にかかった灰と、土に含まれる鉄分や釉薬と化合され、独特の模様が現れます。また炎の当たり方や灰のかかり方によって、ひとつひとつ異なった表情が生み出されるのも特徴です。また日本六古窯の多くが右回りのろくろで作られるのに対し、丹波立杭焼は日本では珍しい左回転ロクロ「蹴りロクロ」と呼ばれる独特の伝統技術で作られています。現代もなお、蹴りロクロは継承されています。


六古窯⑥備前:備前焼

豊かな山々に育まれた窯業地
備前焼は、岡山県備前市で作られている焼き物です。山々から流出した一部が堆積した「干寄(ひよせ)」と呼ばれる良質な土が取れたことから、焼き物産地としても適しています。
また瀬戸内海に面した温暖な気候を有し、山に囲まれた自然に恵まれた産地となっています。

備前焼の歴史

備前焼の起源は、古墳時代の須恵器にあると言われています。須恵器の生産が終わる平安時代後期に生活用器の椀、皿、瓦などが生産されたのが始まりです。

鎌倉時代の中期、主に壺。甕・すり鉢が作られるようになります。備前焼特有の赤褐色の焼き物も作られるようになっていきたのもこの時代からです。室町時代は最も広範に備前焼が使われ、南・北・西に本格的大規模な共同窯が築かれます。

江戸時代になると藩の保護・統制もあり小さい窯が統合され、大きな共同窯が築かれました。共同窯は窯元六姓(木村・森・頓宮・寺見・大饗・金重) による製造体制が整えられます。共同窯は大窯と呼ばれるため、江戸時代を大窯時代と呼ばれていました。

近年は伝統的な作風に加え、作家性のある個性豊かな備前焼が作られています。またビールタンブラーなどライフスタイルに合わせたものも生産されるようになります。

備前焼の特徴

備前焼の最大の特徴は窯変 (ようへん)です 。約2週間もの時間をかけて1200度以上の高温で焼き締めるため強度が高くなります。すり鉢として活躍するのもその強度ゆえと言われています。その他にも保温力が高く、熱しにくく冷めにくいため、飲み物の適温を維持したままゆっくりと味わえます。

また、絵付けや施釉をせず焼き上げる備前焼は、窯の中の状態や炎の当たり方により焼き物の色や表面の仕上がりが変わってきます。その特徴ごとに胡麻(ごま)、棧切り(さんぎり)、緋襷(ひだすき)などに分類がされます。

 

今の六古窯を知るには?

旅する、千年、六古窯
日本六古窯の公式WEBサイトで2018年から始動したプロジェクトです。
千年という年月をかけて継承されてきた6つの産地の技術・文化を詳しく掘り下げています。
また各産地の陶器市開催やその他情報を発信しています。
『やきもの』を通し、人と自然、モノづくりの関わりを改めて考えてみませんか。

詳しくはこちら



六古窯へのアクセス

機会があればぜひ各産地へ足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。目安となる生き方を示しておきます!季節によって各地でイベントや体験会などを開催していることもあります、直接職人さんや地元の方々と触れ合いながら歴史と焼き物をお楽しみください。

瀬戸焼の里への行き方

愛知県の北東に位置する瀬戸市、電車ですと名古屋の中心栄町駅から出ている名鉄瀬戸線で一本でいけます。終点である「尾張瀬戸(おわりせと)駅」まで30分ほどです。瀬戸でのオススメは「窯垣(かまがき)の小径です。約400m続く「窯垣」は、窯道具を積み上げて作った塀や壁のことで、全国でも瀬戸でしか見ることのできない珍しい景観です。


常滑焼の里への行き方

名古屋南に位置する「知多半島」中央、西側の海沿いに面しています。立地環境が良く、車や電車はもちろん、飛行機や船など様々な交通機関を利用し訪れることができます。電車ですと名鉄名古屋より名鉄常滑線特急で35 分、「常滑駅」で下車をします。駅から徒歩5分ほどの場所に「常滑やきもの散歩道」があり、歴史的産業遺産を巡る観光スポットとなっています。


信楽焼の里への行き方

近畿のほぼ中央、滋賀県の最南端に位置する、標高300メートル前後の高原の町です。
京都駅からJR琵琶湖線で「草津駅」、その後草津線で「貴生川(きぶかわ)駅」、そして信楽高原鐵道で「信楽駅」におよそ2時間ほどで到着します。駅から徒歩10分にある、「信楽陶芸村」はリーズナブルに陶芸体験できることで好評な施設となっています。


越前焼の里への行き方

福井県丹生郡(にゅうぐん)越前町で作られています。大阪駅からですとおよそ2時間ほどで着き、JR特急で「鯖江駅」もしくは「武生(たけふ)駅」で下車します。
越前焼のすべてを体感するための総合施設「越前陶芸村」や越前焼の歴史や特徴を学べる「福井県陶芸館」など越前焼の魅力に存分に触れることができます。


丹波立杭焼の里への行き方

兵庫県篠山市今田(こんだ)周辺で作られています。電車では大阪駅よりJR福知山線快速で70分ほど「篠山口駅」に着きます。この地域には「立杭陶の郷(たちくいすえのさと)」や「兵庫陶芸美術館」など陶芸好きには見逃せない施設があります。陶の郷では、展示即売場があり陶芸作家の丹波焼を見て購入することもできます。


備前焼の里への行き方

主な産地は岡山県内南東部方面、備前市内の伊部(いんべ)地区で備前焼作家の窯元や陶芸店が集中しています。電車で向かうとすると、JR岡山駅から赤穂線で約40分、「伊部駅」で下車します。 窯元や関連施設のほとんどがJR伊部駅から徒歩圏内にあるため、工房めぐりを気軽にできます。

 

 関連記事